
山登りの会主催の街道歩き(旧東海道二回目)に参加しました。
一回目は、日本橋から鶴見までを先月行っていますが、不参加のため、私は、鶴見からスタートです。
鶴見駅東口の鶴見銀座商店街が南に伸びています。これが旧東海道で、商店街を南に進み、第一京浜(R15号)と交わる下野谷町入口の横断歩道を渡り、直進。
しばらく行くと、JR鶴見線国道駅に着きます。ここは、ロケ地で有名です。
(落書きは器物破損、犯罪でしょうし、何しろ迷惑、止めていただきたいです。)

生麦という地名は、全国でここだけと何か(新聞記事か)で読んだことがあります。読み方も地名由来も疑問が湧く前に、生麦という地名は有名です。ひとつは、生麦事件で、幕末が舞台のドラマなどで必ずと言ってよいほど描かれますね。二つ目は、早口言葉の「生麦生米生卵」地名の生麦とは関係があるのかないのか不明ですが、生麦という言葉は耳にするし言葉にしますね。そのためですかね。地名由来を疑問に思う事もなく覚えてしまっていますが、考えるとちょっと不思議で、地名としては変な気がしますね。確か、幕府から漁業の権利を認められ、近隣の潮田などは魚を捕ることができなかったのではないかと思います。今でも、生麦の鮮魚店には、寿司だねを仕入れに寿司屋職人が買い付けに来ていると思います。
街道から入り組んだ細い路地を海側に抜けると、船溜まりに漁船?が係留されています。

1923年(T12)9月1日の関東大震災の後に、川崎、鶴見、子安の浜を埋め立てるために人が集まり、埋め立て地にできた工場へ、また、職を求めて、沖縄や朝鮮半島、その他全国から人が集まった場所ですが、漁師町の鼓動が今も続いている場所ですね。
江戸日本橋から、品川宿、川崎宿ときて、神奈川宿は、今の京急神奈川新町辺りから横浜駅西口から沢渡中央公園の手前辺りまで。江戸に近い北半分には寺社がいくつもあります。(多分、防衛を意識しての配置ではと思います)
下の写真の洲崎大神から南は、台地が海に迫り、台地に沿って、幾分西側に進路が変わって、台地の上に上るようになり、当時は海を眺めながら歩くようになります。


1192作ろう鎌倉幕府!?の前年に安房から分霊された神社です。ここだけ鬱蒼とした寺社林があり周りとは別世界です。
京急神奈川駅出口を右手に見て、青木橋の交差点から北を眺めると、今は、本覚寺が建つ丘と洲崎大神の後ろにある幸ヶ谷公園の丘が、第二京浜(R1号)やJR横須賀線、東海道線、京浜東北線、横浜線、京急本線で分断されていることが分かります。ここは右手側に突き出している半島のようなところで、平坦な場種は狭く、交通の要衝で、後北条氏が小田原から武蔵へ進出する最初の争いの場所になりました。

本来は、ここが開港の場所でしたが、入り江の対岸の本牧から伸びた砂州にあった横浜が港とされています。極力、江戸から遠くへの意図があったためと言われていますね。

青木橋から先は、江戸時代は、眺めよく茶屋が立ち並ぶにぎやかな通りだったようです。現在の様子は、次に記します。