『横浜
緑区史 資料編』を、ざっと読んでみたけれど、宝永4年の富士山噴火についての記事はなかったよ。
冬の噴火だったから、米は収穫した後だし、麦が被害を受けただろうけれども、たいした被害でなかったのかな?
ウエブで検索すると、町田市の薬師池公園の薬師池では、降灰のために、池が埋まってしまい、宝永5年から3年を費やして、泥砂をさらったとあるね。
鶴見川は、暴れ川と呼ばれて、洪水が良く起きたそうだけど、これも被害の一部かな?
今日の神奈川新聞の読書欄には、『富士山宝永大爆発 永原慶二著 吉川弘文館』の紹介記事があったよ。記事によれば、降灰による酒匂川の大洪水のことや、噴火後の幕府の対策について記載されているようだね。
今度、薬師池公園にぶらっと行ってみよう!