『津々浦々・百千舟 江戸時代横浜の海運』1/28~3/20を見て来たよ。
恩田川関係に触れられた展示物はなかったようだったね。
鶴見川の
中流域、今の新横浜近くには、『河岸』があったことが
恩田川流域の人々も、何か作ったものを、
重たいものやかさばるものであれば、舟を利用するかもしれないね。
鶴見川は、新横浜あたりから北上して、大回りをして海に出て、
それから沿岸を南下しなければならないから、
少量で軽いものなら、
陸路を真直ぐ神奈川湊へ行く「神奈川道」が確実だったろうね。
そうそう、「神奈川道」への案内を刻んだ石造物が、
長津田にあること展示物の地図に載ってたよ。(撮影禁止)