新たな知識として得られたことを、箇条書きにしてみます。
1. 神奈川県下では、県西部の
足柄平野の北東部の丘陵上にある
中屋敷遺跡で、土坑から自然遺物が出土し、放射性炭素測定法により紀元前5世紀後半から紀元前4世紀前半と判定されたこと。
2.
中屋敷遺跡から、イネ、アワ、キビ、オニグルミ、
トチノキ、べリー類が検出されており、
縄文時代以来の食物にイネアワが加わったこと。(本格的稲作はまだ始まっていない)
3.
足柄平野の平野部の微高地にある中里遺跡からは、東部瀬戸内地域の土器や
尾張系、
三河・
遠江系、
尾張北部、北陸、武蔵・北関東系、
南東北系の土器が発見されたこと。
4. 河道と人工の溝とで環濠が作られ、竪穴住居102軒と
掘立柱建物跡72軒の大型集落であったこと。(
中屋敷遺跡等の古い遺跡に比べ突然大規模化している)
5. 方形周溝墓が、150m離れた場所にあったこと。(墓制の変化がみられたこと)
6. 水田そのものは発見されていないこと。
7.
鶴見川水系大塚遺跡より早く、本格的稲作が始められたと想定されたこと。
8. 同時代の遺跡発掘事例は、少ないこと。
ここまでで一旦中断して、次に続けます。