企画展「横浜に稲作がやってきた!?」から、覚書
9.大塚遺跡(横浜市歴史博物館)は、中里遺跡より新しい。
10.放射性炭素年代測定で、大塚遺跡からの遺物から計測した結果、紀元前4世紀から紀元前2世紀であった。
11.大塚遺跡の周辺の遺跡(権田原、大原、北川)の測定で、権田原は、紀元前4世紀代から紀元前1世紀代。大原と北川は、紀元前1世紀代から紀元2世紀代。権田原には古墳時代の遺跡もあり、そこから発掘された遺物は、紀元3世紀であった。
12.鶴見川流域には、大塚遺跡や権田原等の他に、多くの環濠集落がある。
14.大塚遺跡で生活が営まれた時期は短く、火災で焼失した住居が32棟あった。
覚えて置きたい事がまだありますが、この位に。おいらとしては、中里遺跡のように、平野部の自然堤防上の微高地に集落をつくる場合、排水を考えて、住居の周囲に溝を掘ることは自然な知恵だと思いますが、鶴見川流域の環濠遺跡は、台地上にあり、大塚遺跡の様に、広いところで幅4m、深いところで2mの溝を、ぐるりと掘った労力の傾注が意味するところは何であるか興味深いですね。