昨日は、午前中天候が思わしく畑に行けないため、散歩に出かけたよ。
以前、記事にしたこの道標について、解説板が立っていたよ。
『左、大山みち、右、さくばみち』
乍場(さくば)は、農地のことだそうだ
建てられたのは、嘉永二年(1849年)。
嘉永六年黒船来航の4年前だね。
横浜の開港が1859年だから、幕藩体制の崩壊前々夜といった時代かね?
『大山みち』は、複数あって、
道標の通り大山みちへ行く尾根道を上がると、以前に紹介した
相模湖から横浜に導水している水道設備へぶつかる。
尾根筋が、不明確になってしまう。
ただし、団地の造成以前から、水道設備は建設されていているから
それを頼りに、歩いていくと、
尾根らしい雰囲気の残す道もまだ残っている。
この先は、また、天気が良くて、大山がよく見えるころに。
(そのころは、ヤフーブログは、終了してしまっているかな…)