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今回は、勝沼から甲府までの甲州街道歩きに参加しました。
先発隊は、前日に笹子から勝沼までの予定でしたが、雨天のため中止。私は、二日目の参加で、勝沼の大善寺からスタートでした。
ぶどう薬師で有名な大善寺の薬師堂でお参りしてから、境内の展望台から今日の行程を見渡しました。
この写真では、はっきりと見えませんが、南アルプスの山々(北岳、間ノ岳、農鳥岳、悪沢岳、赤石岳)も目視できました。
山を見るとまた登ってみたくなってしまいます。
目指す甲府は、南アルプスの山々の手前の甲府盆地に突き出た山(大蔵経寺山)の向う側です。
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中央本線は、北側の山地の裾に沿うように、一旦北に進路を取り、塩山駅、山梨市駅、石和温泉駅等を経て甲府に至ります。
旧甲州街道は、笹子峠を越え、甲府盆地へ降りると、勝沼宿、栗原宿、石和宿、甲府柳宿と、峠から流れ落ちる水を集めた日川に沿って、西にまっすぐ甲府へ向かいます。但し、甲府に入る手前、石和宿近くで、日川と笛吹川を渡ることになります。
街道は、日川の右岸(盆地の北側)を、勝沼、栗原と緩やかな下り道を直線的に進んだのち、盆地の北側の山々から流れ下る重川と笛吹川が合わさる地点の手前で、右岸から左岸に渡ります。
日川と重川と笛吹川の三河川が合流する地点のすぐ下流で、名称が笛吹川となった河川を渡り、再び、盆地の北側の山地側の石和に入ります。
ただし、これは現在の河川の流れで、もとは、石和宿の北側に本流が流れ、石和宿は、分流した河川に挟まれた中州にある集落だったと思われます。
【参照 明治32年2月発行の地形図では、笛吹川本流は、石和宿の北側を流れている。】 今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室) (ktgis.net)
【参照 笛吹川市役所Hp 明治40年の大雨の後 PowerPoint プレゼンテーション (city.fuefuki.yamanashi.jp) 】
笛吹川を渡った所に、水難で落命した『笛吹権三郎』の伝説を今に伝える石造があります。洪水、急な増水、氾濫が、頻回だったため語り継がれてきたのだと推察できます。
富士川を遡り、石和宿まで舟運があったこともあり、古くは石和が甲府の中心地であったことも初めて知りました。水害の危険性をはらむ場所であっても、人が集まり、道がつながってきたことの理由の一つであるなと思います。
昭和に温泉がわいた新しい温泉の町としてしか認識していませんでした。舟運がなくなっても温泉がわき、また、人を引き付ける何か ”持ってる” 場所なのかもしれませんネ
石和宿を過ぎ、しばらく進むと北側から伸びてくる青梅街道と合流します。その近くには、江戸幕府が設けた処刑場があり、石碑や小さな六地蔵があります。
甲州街道には、八王子の大和田刑場があったことも、甲州街道歩きを始めてから知りましたが、ここについても、歩いてその場所に来て、偶然、知ることができました。
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そこを過ぎるとクランク状に街道を曲げた所を二度過ぎて、甲府柳宿へと至ります。
10時頃から歩き始め、甲府柳宿に到着が17時頃。蒸し暑く少し大変でしたが、記事にしない事柄や気になる場所の発見もあって、充実した日になりました。