ぶらっと恩田川

土いじり。時々、恩田川の散歩、街歩きに登山。

22/01/02 津久井城址から高尾山へ 

12/21に投稿した記事で、50万年前相模川が東に流れていたという記事を記載しました。早速、相模川が小仏山地と丹沢の間を流れ下り、相模原台地に出て相模湾に向かって南に方向を変える辺りを歩いてきました。

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相模川の右岸にある城山(津久井城址)は、三角おにぎりのような形をしているので目に留まりやすい山です。

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本丸跡から相模川の上流を見渡せます。

写真の下の中央に架かる橋を渡り、対岸の小仏山地へ登り返し、鉄塔が建つ下を通り高尾に行くことが出来ます。

 

 

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相模川をせき止めて出来た津久井湖を渡り、津久井城址のある城山を振り返ります。

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対岸の小仏山地の峰の途中に峰の薬師が有ります。

富田常雄の小説『姿三四郎』で、主人公が他流試合の決闘の場所の一つとして描いた所だそうです。

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峰の薬師から、津久井湖と城山、奥に広がるのが相模原です。

ここから山地の谷を流れ下った川が平野にでる所、三角形に広がるの相模川扇状地の頂点(扇頂)が眺められます。

 

中腹にある峰の薬師から更に登り尾根筋の道に出ます。

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分岐等の要所には案内表示が設置されています。今回は、大垂水峠に向かわず高尾へ。

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途中、尾根道から城山湖を見下ろすことができます。

遠くに新宿の高層ビル群、ダム湖から奥に広がるのは多摩丘陵です。

関東山地(小仏山地)が尽きて、多摩丘陵がはじまる境界にあたる場所ですネ。

城山湖は、神奈川県内の四つのダム湖の一つです。ここの水は、津久井湖の水をくみ上げ、電力不足の際に放流して(地下パイプで津久井湖へ流す)、発電する揚水式発電のための貯水池になります。

津久井湖のダムは城山ダム。城山湖のダムは本沢ダムです。ややっこしいです。

 

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本沢ダムがある谷は、境川水系(相模川と同じく相模湾に至る川)で、尾根を挟んで逆の西側は、多摩川水系の榎窪川です。草戸山は、多摩川水系相模川水系分水嶺の尾根の小ピークになります。

 

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草戸山の辺りは、湖畔に車を駐車して登ってくる人が見受けられますが、そこを過ぎると人影が薄くなります。小さな登り下りが繰り返されますが歩きやすい尾根です。

尾根は高尾駅の方まで続きますが、ここで左に折れ、京王線高尾山口駅に下りました。

この道は。高尾山薬王院と峰の薬師を繋ぐ尾根道で、きっと昔は、薬王院と峰の薬師の行者が何度も行き来しただろうと想像してしまいます。

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峰の薬師から高尾山口駅まで歩行時間は、二時間半でした。

 

50万年前に相模川が東に直進していた痕跡は、その時代の上流にあった岩石の角が取れ、丸くなった石が積み重なっている地層(御殿峠礫層)が、多摩川の右岸(南側)まで伸びているのが分かっているからだそうです。

城山(津久井城址)の本丸当たりにも、御殿峠礫層が残っているとのことで、今回城山を登りましたが、実物を見ることはできませんでした。ただ、これまでテーマとしていた多摩川水系鶴見川水系など東京湾へ流れる水系を含め)と相模川水系境川等の相模湾に流れる水系を含む)の分水嶺を歩くことが出来て良かったと思います。

なお、12/31投稿の記事で、『北米プレート』を『ユーラシアプレート』に訂正しました。

 

相模川が東側に流れていた50万年前は、現生人類(クロマニヨン人)誕生の前、旧人(ネアンデルタール人等)が誕生した時期だそうですからとんでもないくらい昔です。そんな昔のことを調べて事実を明らかにする作業に日時を割いていく研究者の熱意に頭が下がります。

 

 

 

 

21/12/26 街歩き 平塚市博物館

多摩丘陵の成立過程について知りたくて『 秋期特別展 神奈川の大地 一億年の記憶 』を見てきました。以下、私が理解した神奈川県の大地の成立過程をまとめてみました。

今から、500万年前の神奈川県。

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現在の伊豆半島や丹沢のある場所は、フィリピン海プレートの上に有り、プレートと一緒に北西方向に移動して、500万年前に後に丹沢になる場所が本州と衝突しました。

その頃、三浦半島のつけ根の葉山あたりから房総半島の峰岡の辺りが隆起し、その北側、今の多摩丘陵から三浦半島付け根あたりは、逆に沈み込み海の底でした。

そして、へこんだ今の多摩丘陵辺りに堆積物が積み重なりました。

〔 私は、いままで、丹沢山地は、ユウラシアプレート上にあって、フィリピン海プレートに押し付けられて隆起したものと理解していました。間違っていましたネ。]

 

200万年前

f:id:cskdm933:20211227181330j:plain現在丹沢がある場所は、更に本州へ押し付けられ、高尾山や景信山のある場所が隆起し、小仏山地が出来ました。

多摩丘陵はまだ海の底で、葉山から峰岡まで辺りが隆起するのとは逆に沈み込み、海の底で土砂が堆積していきました。

そして、プレートの境界(ユーラシアプレートの下に、フィリピン海プレートが沈み込む場所?)が、丹沢山地の南へ移動したと考えられているそうです。

 

100万年前

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今の伊豆半島が、本州に衝突します。それまでは、平坦だった丹沢の辺りは、急激に隆起を始め山地に変化します。また、多摩丘陵も隆起し始め、このころ陸地化したと考えられています。

 

40万年前

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箱根が誕生してきます。箱根火山は、噴火形態を様々に変化させながら、風下の北東方向(相模平野や多摩丘陵)へ火山灰を降り積もらせました。この灰が関東ローム層になりました。また、この頃、沿岸部では氷河期と間氷期の水位の変化のために、海岸線が変化し、海と陸の環境が繰り返されていました。

(この絵図で注目するのは、相模川が東の方向へ、今の多摩川の方向に流れていることです)

 

30万年前

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大磯丘陵の西側が隆起し始めて、陸化しました。

(水の流れが南に向かって流れるようになり、今の相模川と同じ方向に流れ始めています)

 

13万年前

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最終間氷期(縄文海進期の一つ前の温暖期 別名 下末吉海進期)にあたり、低地は海の下に沈んでいます。

箱根山は爆発を繰り返し、風下に火山灰を降らせて下末吉ローム層を形作りました。

 

2万年前

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7万年前から2万年前は、最終氷期と呼ばれる寒冷期にあたります。

海岸線は、現在より標高が120m以上低く、今の海岸線より遠くの沖合にありました。

一方、陸上は浸食によって深い谷部が出来上がりました。

大きな相模川が流れる県の中央部には扇状地が広がり、大河の浸食による段丘地形を形作りました。

 

7000年前

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7000年前は、縄文海進があった頃です。この頃は、暖かな気候で、海面上昇によって入り江が、内陸の奥まで侵入しています。平塚も横浜も、新横浜駅辺りまでも、この頃は海の底です。

また、今の平野部は前の時代に刻まれた谷がこの時代に堆積物で平らに埋められて出来上がりました。



多摩丘陵についてまとめると。

多摩丘陵がある場所は、フィリピン海プレートが進む方向(北西方向。丹沢山地や小仏山地のあたり)より東側に外れているために、隆起が少なかった。

100万年前、伊豆半島が本州に衝突。同じころに多摩丘陵が隆起し陸地となる。

30万年前、相模川が南に進路を変えて、大きな川の流域にもならずに多量の土砂の流入も受けず、小さな流れによる浸食のため、狭く小さな谷戸が葉脈の様に出来上がった。と言う事なのかな。

最後までお読みいただきありがとう。間違えがあったり思い込みだったりするかもしれません。

相模川の流路が以前は東に直進していたことを知れたのは見に行って良かったと思いました。

今度、相模川が東に直進していた痕跡を探しに散策してみようと思います。

 

 

21/12/25 恩田川の畑 玉ねぎ

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今日のべた掛け作業で今年は鍬納めにして、確申の準備をそろそろ始めることにしました。

 

今年から農協の直売所に出荷を始めて、年間898アイテムが売れました。(12/25時点)

内訳は、里芋336個、じゃが芋336個、葉生姜91個、翡翠茄子69個、大豆52個、さつまいも11個、大納言小豆7個、苦瓜5個です。生活を支えられるような売上額には、全く届きませんが、まあまあ初めてにしてはよくやったじゃないかと自分なりに思っています。

来年の目標は、出荷する野菜の種類を増やし、4月から6月も出荷を絶やさないことにしました。

売上高より、出荷できる野菜の種類を増やすこと、身体によい美味しい野菜を育てることに注力し地道に且つ淡々と継続することでしょう。