
三保の杉山神社
『続日本後紀』に貞和5年(838年)に朝廷から霊験あらたかなりと官幣を賜り、
貞和15年(848年)に従五位下を授かったことが記録されている。
ただ、その「椙(杉)山神社」は、
点在するどこの「杉山神社」なのか?
祀られている神様も、「五十猛尊」「日本尊命」「素戔嗚尊」と
まちまちで、霊験あらたかな神様とお祀りされていた神様はどなたなのか?
なぜ?鶴見川を中心に狭い地域だけに存在するのか?
なぜ?「椙(杉)山」なのかと考えると謎が多いと言われています。
おいらの想像では、相模の平らな地形に比べ、
ここらは、谷戸が複雑に陥入し湿潤な土地であったから、
杉が多く生えていたのではないかと思うんだ。
その環境を昔の人が感謝したのではないかな。
杉は、湿潤な土地に合うのでは?