榎下城(えのしたじょう)の後に建立された久保山 舊城寺。
『上杉憲清が築いたと伝えられ』『大手口には侵入者を城内にまっすぐに入れないために喰い違いの虎口という独特な土塁を築いています』『東側の堀は谷を利用して箱掘りとなっています。憲清の子、憲直が永享の乱で(1438)』『金沢称名寺で自決して以降、城主については不明ですが、小田原北条氏の時代にも小机衆の拠る小机城』の『出城の役目を果していたとも考えられています』
大手口にあたる土塁の上に茂るカヤの大木
東側の箱掘りは、児童公園になっています。
桜の木の向こうのこんもりと木が茂ったところが榎下城。