ぶらっと恩田川

土いじり。時々、恩田川の散歩、街歩きに登山。

シュリーマン旅行記 清国・日本

 今、講談社学術文庫 ハインリッヒ・シュリーマン著 石井和子訳 『シュリーマン旅行記 清国・日本』が手元にあります。

 その中に、1865年6月18日から20日の間に、横浜から八王子へシュリーマンとイギリス人6人が、馬7頭と馬丁7人を雇って旅した様子が書かれています。初日、原町田(泊)、翌日は、八王子を往復し、再び原町田で宿泊、三日目に横浜へ帰る行程でした。

 1859年(安政6年)7月1日横浜港が開港した6年後に、日本を訪れたこの外国人は、6年後に、トロイアを発掘しているあのシュリーマンとのことです。トロイアの発掘者シュリーマンが日本を訪れ、横浜に滞在していたことは知りませんでした。

 興味深い記事がいろいろとありますが、私の関心は、シュリーマンがどの道をたどって、原町田へ行ったのか?ということです。勿論、恩田川流域を通り、当時のことが何か記録されてないだろうか?と、この文庫本を購入しました。

 行程に関係する記事を抜粋すると、
 ①常に、前方に富士山が見えていた。
 ②外国人を殺害するよう命じた高さ2m、厚さ85cmの石碑の前を通った。
 ③豊顕寺(ブゲンジ)で休憩した。
 ④養蚕地域を通った。
 ⑤二階建ての藁ぶき屋根の茶屋に泊まった。
 旅の足は、馬。
 時刻は、午後3時15分に横浜を立ち、午後6時に原町田へ到着した。といったことが記載されています。恩田川流域を通ったかは、はっきりしませんでした。
 
 現在でも立ち寄った場所が分かる所は、神奈川区三ツ沢の豊顕寺と町田市の宿所になった旅館吉田屋です。
 両地点を、yahoo地図ルート検索で徒歩検索すると約17Km、3時間30分。ルートは、三ツ沢から羽沢、菅田、鴨居、中山、長津田、原町田と恩田川沿いを選択してきます。今の道路事情と当時とは違いますが、最短ルートですし、恩田川贔屓としては、このコースを選んだと確証はありませんが、そうだろうと思いたいところです---。もうひとつ想定されるコースは、16号沿いですが---。
 
 気になるのは、「養蚕地域」です。1881年明治14年)測量のフランス式彩色地図では、長津田の台地の北側には桑畑がありますが、恩田川沿いにはないことです。
 どちらであっても、大した意味はありませんが、八王子を見に行く目的でも、八王子に泊まらず原町田へ二泊して横浜に帰ったのは、まだ、きっと外国人が自由に居留地以外を歩くことが危険な時代だったはずですから、何か事情があったのではと、柿島屋さんのルーツのことなども考え空想して遊んでいます。