ぶらっと恩田川

土いじり。時々、恩田川の散歩、街歩きに登山。

横野山王原遺跡

 今日の朝日新聞朝刊に「神奈川の記憶 9秦野の「天地返し」遺跡」の記事が載ってたね。宝永4年(1707年)富士山噴火の降灰に対し、当時の人々が、苦労して作物を作り上げてきた努力の跡だね。降灰が川に入り、下流では川底が高くなって、洪水が繰り返し起こったことも触れてるね。そうした環境の中から、二宮尊徳が登場して来たとも記載されてるね。
 鶴見川流域でも、秦野より降灰は少なかっただろうけれど、同じようなことがあったはずだよね?当時の無名の人々がどうやって乗り越えて来たんだろう?